【千葉の歴史と地理を知る】毒ガス開発 陸軍習志野学校

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毒ガス開発 陸軍習志野学校
 不定期で千葉県の歴史や地理を考えるコラムを掲載します。
 習志野市の日本大学や東邦大学などがある文教地帯の東端に、戦争中、毒ガス兵器を研究・訓練した秘密の学校があります。陸軍習志野学校。跡地には毒ガス実験の犠牲になった動物慰霊(写真)が残るだけで、現在は一般立入禁止となっています。
 90年代半ばに、公務員宿舎の建設のために旧軍隊の建物などの解体工事が行われました。地元の要求で工事現場が公開され、細菌兵器や毒ガスの効果を調べるための実験設備などが発見されたのです。
 第一次世界大戦で、戦車や飛行機、潜水艦と共に毒ガスなどの大量殺傷兵器が開発され、戦争の様相は一変し、甚大な被害が出ました。独軍が毒ガスを大量に使用し死傷者は少なくとも130万人。
 このため1925年に、化学兵器や細菌兵器を禁止する条約ができました(ジュネーブ議定書)。しかし、日本は批准せず密かに毒ガスや細菌兵器の研究を始めました。芝山町出身の軍医・石井四郎が細菌兵器の研究を主張し、31年に細菌戦部隊が設置され、33年に陸軍習志野学校が作られました。
 細菌戦部隊は後に「731部隊」と改称し、中国のハルピン郊外に巨大な施設を建設しました。陸軍習志野学校は、鉄筋2階建ての近代的な実験講堂が建てられ、動物実験などを行っていたようですが、敗戦後、日本軍が隠蔽工作を行ったため、この歴史は埋もれてしまったようです。
ちば合同労組ニュース 第167号 2024年06月1日発行より